南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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五井八面神社

2010 - 09/16 [Thu] - 14:25



江戸より京に向けて東海道を上ると、現在の愛知県に入って最初の宿場が二川、次に吉田、そして御油、赤坂と続きます。現代の東海道は国道1号線ですが、旧東海道も並行しています。蒲郡信用金庫そばの"御油一里塚"を過ぎて西に行くこと500mほど、住宅地の中に、それと知らなければまずは気づかないような、一見どこにでもあるような小さな社があります。名称は「八面神社」です(写真左)。

本殿向かって右に小さな看板が掲げてあります(写真中)。曰く、

「楠社
御祭神  楠正行
天文年間奈良吉野蔵王堂前
正成正朱と別れ供七武将と
計八名で一時尼寺如意輪寺
に落着き後に東三河まで落
人になって現在に至る
当時社殿建築の誉あり伊奈
色野大工二名(太夫)で建築す
天文、延宝、明治の棟札を
現存す当時社殿横に楠の苗
一本を植り途中火災に合い
一部残り現在に至る
現社殿は昭和三十八年改築
祭礼は例年九月二十七日」

すなはち、楠木正行を祀った神社だと云うのです。

そもそも管理人がこの社を訪れたのは、"楠木正儀"を祀っていると聞いたからでした。三河吉野朝の伝に曰く、正儀は、三河王田殿へ御所を構えた長慶天皇を守って、三河の赤坂落合の地で足利軍と交戦し、戦い利あらず同地で戦死したと。後にこの八面神社に正儀始め七人の忠臣を祀ったとあったのです。

正儀は"河内落合"の合戦に敗れて以降、歴史の表舞台から姿を消し、どうやら河内千早城で病死したと考えられています。ですので、本来ならこの三河に伝わる伝承は一笑に付されてしかるべきものです。しかし尾張の三法神社のように地元に大切にされている場合もあり、三河はどうかと思って来てみたのでした。楠木正儀でなくて残念(笑)でしたが、楠木正行だったことは嬉しい誤算でした。

三河一帯には楠木氏の伝承が点在しています。正成・正季・正儀・正勝と、一族総出演です(笑)。五井八面神社の楠木正儀のようにやや無理のあるものもありますが、それらの伝承の根底には、楠木一族が確かに三河にやって来たことがあるように思われます。足助氏との関係があるのか、それとも三河萬歳か、河内鋳物師か。背景事情を考えるのが楽しくなる場所でした。

なおその夜、泊まったホテルでテレビを見ていると、何と十津川の楠木正勝の墓が放映されていました(写真右)。毎年4月に墓供養が行われているそうです。国営放送のハイビジョン番組だったので、家では見れないものでした。なかなか運命的な偶然でした(笑)。

 

ご無沙汰しておりました。

お元気そうで何よりです。
こちらは秋に仕事が行き詰まってしまい大変でした(今も大変ですが・・・(苦笑))。
まあ、身体だけは何とか保っていますので「生きてるだけで大儲け」と某芸人のように考えなくてはいけませんよね。

さて、さすがは三河国ですね、楠木さんもご活躍されたようで。
いつもながら河陽南帝様のレポは勉強になります!

そう言えば、思い出した事があります。
京都は園部町の大河内という集落があります。
国道372号線から「るり渓」に向かって行く途中なのですが、そこに楠木正季が落人となって来住したという伝承があります。
出典は定かではありませんが、何かご存じでしょうか?

Re: ご無沙汰しておりました。

> こちらは秋に仕事が行き詰まってしまい大変でした
おお…それは厄介ですねぇ…。

> 「生きてるだけで大儲け」
何も知らない身でこんなことを言うのも何ですが、
あまり根を詰めなさらんように!疲れたときには
後南朝の話で息抜きしましょう(笑)。

> いつもながら河陽南帝様のレポは勉強になります!
ありがとうございます。
そのお言葉が励みになります。

> 京都は園部町の大河内という集落があります。
> そこに楠木正季が落人となって来住したという伝承があります。
> 出典は定かではありませんが、何かご存じでしょうか?
すでに行っていたり(笑)。山に囲まれ、猫の額のような盆地でした。
 写真 → http://blog-imgs-45.fc2.com/n/a/n/nanteo/IMGP05021.jpg
藤原純友とか、能勢の天王(安徳天皇陵がある)に近いとか、
落ち武者に関係のある土地柄ですな。楠木正季自身はないにしても、
その系統の誰かがこの地に住み着いた可能性はあると思っています。

 

失礼しました。

大河内集落の件、既出でしたね、失礼いたしました!
私も何度か行きました。
と言っても通過する事ばかりで探索はしていませんが、確かに秘境っぽい場所ですし、何某かの落人が来住しそうな感じはしますよね。
能勢町野間の安徳天皇陵伝説地にも何度も行きました。
こちらは二度ほど周辺も歩いてみましたが、盆地側でなく裏山側のほうに何となく匂いがしました(私の鼻はアテにならんのですが(笑))。
安徳天皇ご自身ではないでしょうが、やんごとなき落人が住みつくには程よい環境にも思えました。
安徳天皇には身代わり伝説もある事ですし、周辺のどなたかが来られた可能性は高いと思います。
都にも近いので、源氏方を撹乱する為かも知れませんよね。

こちらでの末筆となりましたが、励ましのお言葉ありがとうございます。
何とか正月の餅を食べられるよう頑張ってみますね。

Re: 失礼しました。

> 大河内集落の件、既出でしたね、失礼いたしました!
いや既出ではなく、これからの新ネタでした(笑)。
とは言え、単独ではあまりテンションが上がらないので、
何か他のネタと一括でアップしようとしていたものです。

> と言っても通過する事ばかり
そうそう。北摂から京都へでるときに案外便利な道ですよねぇ。

> 盆地側でなく裏山側のほうに何となく匂いがしました
ほぅ。私は現地は行ったことないのですが、
興味湧いてきましたね。面白そう。
能勢といったら楠木正行の岳父・内藤満幸がいたのですが、
どうにも実在の匂いがしないのですよ。だからいつかは
現地に行きたいと思います。ひょっくり南朝絡みの何かを
見いだせるかも知れません(笑)。

> 何とか正月の餅を食べられるよう頑張ってみますね。
不屈の後南朝人士の魂の守りがありますように…。

 

そうでしたか(笑)

大河内の件、納得いたしました。
他にもあの近辺でタイアップできるネタがあればいいですよね。

能勢は北摂の土豪クラスに興味があった頃によく行きました。
内藤満幸は野間城主でしたね。
その娘が楠木正行に嫁ぐも満幸が足利方に寝返った為に離縁されて、再嫁したのが池田城の初代城主・池田教依。
正行の実子である連れ子はそこで養われて池田教正となったのでしたね。
楠木正成の孫にあたる方の膝元に住みながら、あやふやな記憶でお恥ずかしい(笑)
手持ちの「池田市史・第一巻」に再びざっと目を通してみましたが、残念ながら記述はございませんでした・・・。

この摂津池田氏を出自とする備前池田氏によって、岡山の三勲神社の祭神に楠木正行が祀られたのもこういう経緯からなのですね。

さて、野間の安徳天皇陵です。
裏山はゴルフ場で裾野を府道4号線が通り、これが陵の裏手になります。
ドライブばかりしていた20年少し前、北摂の府道制覇を目指していました(笑)
それで茨木から能勢までこの府道も走ったわけです。
とことが陵の裏手あたりから山越えの区間がダートで狭いのですよ。
特に猪ノ子峠は道の両側に生い茂った背の高い草木で車のボディーをやられまして・・・。
う~ん、我が先祖ともいえる河野氏が壇ノ浦で源氏方だったからでしょうか(笑)
最後に行ったのは数年前で、さすがに猪ノ子峠までは行きませんでしたが、手前の道は改良されていました。
余談が長くなりましたが、あそこには何かあると感じました(笑)

「遁れきて身を奥山の柴の戸に月と心をあはせてぞ住む」の心境ではありますが、再起を夢見て頑張りますね。

Re: そうでしたか(笑)

> 大河内の件、納得いたしました。
> あの近辺でタイアップできるネタ
あるにはあるのですが、まだきっちり取材できていないのですね。
来年中には再訪したいです。

> 内藤満幸は野間城主でしたね。
> 残念ながら記述はございませんでした・・・。
そう、大広寺参拝がてら池田市の図書館に行ったこともありましたが、
結局内藤満幸の足跡は発見できず。別に非実在でもいいのですが、
内藤満幸って名前がどこから出てきたか、なぜに楠木氏と結びつけ
られたか、ってことが知りたいです。

> 岡山の三勲神社の祭神に楠木正行が祀られた
ですねぇ。楠木系池田氏の子孫に関する伝説も日本各地にあるようです。
って言っても今のところ、2箇所しか知りませんが(笑)。

> 北摂の府道制覇を目指していました(笑)
余談ですが能勢に住んでた私の友は"国道制覇"なんてやってましたな。
国道480号線を走るのに便乗して、"ゆかんどの森"に引っ張っていった
ことがあります(笑)。

> 余談が長くなりましたが、あそこには何かあると感じました(笑)
なるほど、私が吉野へドライブに行ったら必ず何か不幸な目に遭ったのと
同じような感覚ですな(笑)。マジで安徳天皇が…。

> 再起を夢見て頑張りますね。
ご多忙でしょうけど、ぜひ川上村でパワーをいただいて来て下さい。
我らの究極のパワースポットですからね。

 

ご返信ありがとうございます!

クリスマスに託けて未だに飲んでおります・・・飲んでいる場合でもありませんし、神道の家系なのですが(笑)
河陽南帝さんのご返信でますます元気が出て参りました、重ねて感謝いたします!

内藤満幸の件、確かに確証すらありませんよね・・・。
楠木系池田氏の事も併せて、本日は池田図書館まで散歩がてら参ったのですが、お隣の歴史民俗資料館の学芸員の方も首を捻られるばかりで・・・。
能勢の内藤姓の方を当たるしかないのでしょうかね?
内藤姓の方がどれほどおられるかは判りませんが・・・。
それとも内藤姓の本家、丹波まで探求しなければならないかも知れませんね。

若かりし頃は国道制覇も一時検討しましたが、まずは足場からと思い北摂からの府道・市道・町道を制覇しようといろいろと難儀しました(笑)
何故か亀岡が好きで毎晩のように友とドライブ。
そのうち深夜の亀岡で待ち合わせて、一台の車で丹波・丹後を夜が明けるまで走り回った時代がありました(笑)

しかし480号線とはこれまた「酷道」の類ではありませんか。
しかも「ゆかんどの森」とは・・・(笑)
一時、雑賀衆・根来衆に凝った時期には津田監物を追ってあちら方面に参った時に寄った想い出があり懐かしいです!
あそこも何とも言えぬ場所ですよね。

安徳帝関連にも興味があり、故郷の高知にも遺蹟・伝承が残る事から以前より細々ながら調べてはいるのですが・・・やはり河野氏系統だからでしょうかね・・・。
河陽南帝さんは吉野朝と何らかの因縁めいた事があられるのでしょうか?

川上村には近いうちに再び参りたく思う今日この頃です。
こんな私にも後南朝が御力を与えて下さればよいのですが(笑)

Re: ご返信ありがとうございます!

新年あけましておめでとうございます!
気がついたら年が明けてしまいましたが、
本年もよろしくお願いいたします。

> 内藤満幸の件、確かに確証すらありません
本当にいたのか、と。つまり太平記語りが
勢いに任せてひねり出した人物なのかと(笑)。

> 何故か亀岡が好き
篠村八幡(笑)?ってか後亀山上皇が吉野潜幸のときにか
一時期身を寄せていたような伝承がありますね。

> しかし480号線とはこれまた「酷道」の類
あの道を走ったことによって、後南朝の戦略が垣間見えました。
高野山を調略したかったんでしょうね。

> 津田監物を追ってあちら方面に参った
私も同じ道をたどってる…(笑)。
津田春行のお墓をご覧になりましたか?

> 河陽南帝さんは吉野朝と何らかの因縁めいた事があられる
まぁ住んでるところが河内のド真ん中ってこともありますが、
姓がちょっと…。お朝拝式では来訪者は名前を書くのですが、
書くのを躊躇したという(笑)。いろんな所に額づいて、
ようやく吉野へ無事に行けるようになりました。

 

あけましておめでとうございます。

遅ればせながらの挨拶にて申し訳ありません。
こちらこそ何卒よろしくお願いいたします!

内藤満幸の件、当方もそう感じざるを得ません。
勢いあまって?(笑)

亀岡の件はドライブ仲間(学生時代の旧友)が滋賀から来るので、池田から北上する当方との待ち合わせに亀岡が便利だったのですよ。
もしかして彼は近江源氏の・・・だったりして(笑)
しかし、後亀山上皇も源氏方の地へよく飛び込んだものですよね。

確かに今は「酷道」や廃道寸前の当時の往還を通ると、その歴史的意義が理解できてきたりしますよね。
実地踏査・調査の重要性を感じます。

大日堂の五輪塔が津田春行のものと伝わる墓ですよね。
「応永××年」というアレですね。
その当時は我が先祖の「上司」であった長宗我部元親と雑賀衆・根来衆との関連を調べており、後南朝の事もまだよく知らなかった頃です。
そう思うと、ますます後南朝との縁を感じますね。
出会うべくして出会ったのかも(笑)
余談ながら、津田という姓は高校時代に付き合って大学に入って別れた女性と同姓で何となく今でも気になるのですよね・・・(苦笑)

姓といえば、河陽南帝さんは南朝方には・・・という事なのですね?
何となく判るような気もします。
もちろん追及などいたしませんよ!(笑)

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