南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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天野山

2007 - 04/28 [Sat] - 14:19

20070428142104
金剛寺。観心寺と並んで楠木氏との関係が深く、その縁で南朝方に味方していました。

行きたい行きたいと思っていたのになかなか立ち寄ることができませんでしたが、先日ようやくに訪れることが叶いました。

金剛寺で目立つのは庭園で、京都の名園にも匹敵します。また宝物館には楠木氏の書状や甲冑があります。

しかし何と言ってもここは南朝・北朝の御所となっていたことが特筆されます。
南朝皇居は予約をしないと拝観できませんが、北朝御所は常時公開されています(写真)。

観応の擾乱により足利高氏・義詮父子が南朝に降伏、ここに北朝は一旦廃されます(正平一統)。そして南朝軍が京都を占領します。
しかしすぐに足利軍の反撃に遭い南朝方は撤退しますが、この際に北朝三上皇と皇太子を伴っていくのです。
そうして南方に拉せられた北朝三上皇が留め置かれたのが、この金剛寺というわけです。

北朝御座所は先の庭園に面した建物の中にあります。
襖や畳が新調されたためか、古さは感じません。しかしあまり広くなく、北朝三上皇の悲哀は実感できます。

隠れ光厳上皇ファン(笑)の管理人は感慨深かったです。

 

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矢浜宝篋印塔

2007 - 04/13 [Fri] - 14:47

20070413144904
尾鷲市街の南の方、東邦ガスのそばに小さな公園があり、その奥にこじんまりと鎮座まします。説明看板によると、西陣南帝の三男である桂城宮重信親王と言う方が、東国に行こうとして果たせず亡くなったので、同地に葬り供養してきた、とのことです。興味深いのはそばの卒塔婆で、「綴連王」と書かれてあること。この名前は山梨県の雛鶴姫伝説にも見られます。西陣南帝は山梨(甲斐)にいたという記録もあるので、何らかの繋がりがあるのかもしれません。

なおこの地には野田・楠姓が多く見られ、この親王を守護してきた河内楠木氏の子孫だそうです。


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