南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

スポンサーサイト

-- - --/-- [--] - --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

光福寺

2007 - 10/16 [Tue] - 15:53

20071016155504
20071016155503
野長瀬一族の墓で触れた尊雅王が薨去した地なのが、ここ熊野市飛鳥町神山の光福寺です。境内には尊雅王の墓と伝わる石龕や火葬地があります。

ところでこの寺は元は別の寺名でしたが、尊雅王の諡が興福院だったために、光福寺となったということでした。ではその前身の寺を開いたのは誰かと言いますと、平維盛なのです。つまりこの地は平家落ち武者伝説と後南朝伝説が交叉する、伝説の解明には非常に興味深い所と言えるでしょう。

 

スポンサーサイト

野長瀬一族の墓

2007 - 10/09 [Tue] - 14:03

200710091405042
20071009140504
熊野古道・中辺路ルートは、海岸沿いの田辺と内陸の熊野本宮大社とを結ぶ、熊野古道でも人気のあるコースです。そして熊野本宮大社から北に上がると十津川に出ます。あるいは修験の道を経れば、吉野に達します。つまり後南朝にとっては、その本拠地と、西に向かって開く海の玄関とを結ぶ最重要のルートの一つであったことでしょう。

この野長瀬一族の墓のある近露は、そうした中辺路ルートの中間辺りに位置します。附近には熊野古道のシンボルともなっている「牛馬童子像」や様々な王子が、当時の姿を留めています。

 

続きを読む »

 | HOME | 

最近の記事

スポンサードリンク

こよみ

最近のコメント

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

点取り占い様

点取り占いブログパーツ

アルカナツール

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。