南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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楠公神社

2009 - 03/18 [Wed] - 14:30

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名鉄一宮より尾西線に乗り終点玉ノ井駅で降りて南東方向1kmほど行くと、静かな町中に小さな神社が鎮座坐します。周囲一帯を三ツ法寺といい、この神社は旧村社で三法神社と申し上げます。外見はありふれた神社ですが、本殿左手に摂社が祀られています。その社の前の立て札には「楠公神社」と記されています。

楠公神社は、かつての忠君愛国思想の称揚から各地に作られましたが、その主神はだいたいは楠木正成でした。しかしこの地の楠公神社は違います。何とも珍しいことに、「楠木正儀」を祀っているのです。

なぜ正儀なのでしょう?南朝で立場をなくしたが故とはいえ、北朝に従った経歴を持つ正儀は不忠の子とされてきました。忠君愛国思想からみれば決して祭神とはなり得ません。ですのでもっと他の理由がありそうです。

境内には由緒を書いたものがありませんが、伝え聞くところによると、正儀はこの地に移り住んで死んだ、となっているようです。あるいは正儀の子の正勝が同地で死んだとか、伝承もかなり錯綜してはっきりしません。つまりは墓があったのですが長い年月の間に失われ、神社の祭神に転化したのではないでしょうか。

正儀は没年没地がはっきりしませんので、この地で死んだという話もあり得ないわけではないです。しかしなぜこの地なのかとの疑問が残ります。南朝色が格別強い土地というわけでもありません。

資料が余りにも少ないために、考察の材料だけ並べておきます。この地の近くに黒田という場所があります。山内一豊の生誕地として近年有名になりましたが、支配者が目まぐるしく変わっています。そのなかに「和田河内守」がいました。来歴は不明ですが何とも楠木一族らしい名乗りです。

あるいは黒田は鎌倉街道の要衝でしたので合戦がしばしば起こっています。南北朝期では北畠顕家の上洛戦の折に濃尾の足利方との間で合戦が発生しています。その際に従軍していた楠木一族が土着したとも考えられます。

いずれにせよ、かなり謎の多い場所です。

 

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