矢浜宝篋印塔
2007-04-13(Fri)

尾鷲市街の南の方、東邦ガスのそばに小さな公園があり、その奥にこじんまりと鎮座まします。説明看板によると、西陣南帝の三男である桂城宮重信親王と言う方が、東国に行こうとして果たせず亡くなったので、同地に葬り供養してきた、とのことです。興味深いのはそばの卒塔婆で、「綴連王」と書かれてあること。この名前は山梨県の雛鶴姫伝説にも見られます。西陣南帝は山梨(甲斐)にいたという記録もあるので、何らかの繋がりがあるのかもしれません。
なおこの地には野田・楠姓が多く見られ、この親王を守護してきた河内楠木氏の子孫だそうです。
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綴連王に関して調べこちらに辿り着きましたので、コメントさせて頂きます。私の仲間に「第十九代綴連王」を名乗る人物がいます。彼のおじいさんは、今も山梨県にご健在で、小学生の頃、雛鶴姫伝説のある雛鶴神社にお参りにつれていかれたそうです。正確にはまだ第十九代ではないそうですが、そのうち、継承のため色々と授かるそうです。
申し訳ありません。
この矢浜宝篋印塔に関しては後に詳しく調べて
みたところ、どうやら熊澤天皇の伝説に絡んで
いるようです。綴連王に関しては山梨と尾鷲と
どちらが源流なのか疑問に思っていたのですが、
おそらく山梨の方が源流なのだろうかと思われます。
もっとも山梨の方も護良親王が生きていたという
伝説に立脚している以上は、なかなか周囲を
納得させることは難しいでしょう。
ですので、なぜそのような伝承が受け継がれて
きたのか、その背景を十九代の方が深く追求されれば
南朝の隠された支持勢力が浮かび上がったりして
奥行きの深いものとなるでしょうね。
山梨は物部氏との係わり合いもあって注目している
土地です。おもしろい発見があればいいですね。
甲斐の雛鶴姫に関する伝説は親王の寵姫?にまつわる伝説で、護良親王は鎌倉で殺された後の伝説。そして綴連王に関する伝説は護良親王の皇子つまり陸良親王で、南北朝も終わりの頃、戦に逃れて従者と共にその地に辿り着き、村人から父である護良親王と姫の話を聞き、ただならぬ縁を感じてその地で生涯を終えたという伝説。綴連王ゆかりの寺社、その従者と伝える家もあり、また綴連王の子孫はそれぞれ周辺の土地に住んだとされています。十*代綴連王を名のる方はこうした子孫にあたる方なのでしょうか興味があります。
コメントが遅れまして申し訳ありません(^o^;。
なかなかお詳しいようで。雛鶴姫は護良親王の御首を
甲斐の地に持参したのでしたね。護良親王の生存
伝説の方は石巻の方でした。
陸良親王もけっこうお墓の多い人で。調べた限りでは
兵庫県香寺町、奈良県野迫川町、対馬、そしてこの
甲斐ですな。それぞれになるほどな伝説がついて
いるので面白いですね。