南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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時之島熊澤墓地

2007 - 06/07 [Thu] - 14:04

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20070607140603
後南朝を語る上で外せないのが「熊澤天皇」です。

真偽は別として、川上村や熊野で現地調査を行なったせいか、妙に辻褄が合ってる。なので西陣南帝とされる熊野宮信雅王も、ひょっとしたらおったかも?って思わされます。

というわけで、時之島へ行ってきました。

何かだだっ広い平野に木の生い茂った場所があり、そこが時之島八幡、隣接して墓地があります。
八幡社と墓地の間に2、3mほどの石柱が建っていて、「熊野宮信雅王御塋墓」と彫り込まれています(写真左)。

熊澤伝説によると、応仁の乱以降各地をさすらった信雅王は、尾張時之島に落ち着き同地で没し、時之島八幡横に葬られたと伝わっています。

なぜかこの周囲にだけツリガネ草らしき雑草が生えまくっている墓域に近付きますと、大木の根元にバラバラの五輪塔が積み上げられています。荒れた印象がないので定期的に墓参が行われているのでしょう。

翻って墓地に目を移すと、至る所に「熊澤家墓」が林立しています(写真右)。

熊澤さんが南朝皇胤を主張する基となった「十六弁菊花紋」がくっきりと刻まれています。それとは別に、菊水紋が入った墓碑も目につきます。
時之島は戦国期には日根野弘就の城があり、日根野氏は和泉出身とも言います。楠木氏と何らかの繋がりがあるのやも知れません。

なお、一宮市の木曽川流域には南朝伝説が点在しています。真実か否かはともかく、語られる背景をもっと明らかにしたいものです。


 

写真が…

ひょっとしたら配列逆かもしらん(^o^;。

 

日根野って和泉にありますもんね^^
美濃ではないってことですか。

但し

日根野氏は南北朝期には北朝方やったらしい(^o^;。
時之島の菊水紋は、江戸時代の後づけかも
しれへんね…。
何せ尾張藩の学者の記録(塩尻)には載ってないねん(苦笑)。

 

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しーくれっと

でいただいた方へのコメントです。管理人のみ閲覧
コメントの趣旨を尊重して、お名前の記載は控えます。

こちらこそご無沙汰しております。仕事がかなり
忙しくてなかなかパソコンに触れる機会がなくて、
レスが大幅に遅れてしまったことをおわびします。

サイト再開やご転居は某所掲示板にて拝見して
まして存じ上げておりました。だいぶ落ち着かれ
ましたでしょうか。

お知らせいただいた件ですが、まず、ありがとう
ございます。ただ、何しろ最近は仕事に明け暮れて
いて、ストレスがたまっては南朝の史蹟にぶっ飛んで
いくという生活の繰り返しで(笑)。図書館に立ち寄る
ヒマもないありさまです。ちょっと今は保留させて
いただけないかと…。

ただご連絡はさしあげたいことがあるかと思われます。
メールアドレスは以前のままでよろしいでしょうか。

まぁ気が向いたら更新してますので、このブログも
よろしくお願いします。

 

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