南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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野長瀬一族の墓

2007 - 10/09 [Tue] - 14:03

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熊野古道・中辺路ルートは、海岸沿いの田辺と内陸の熊野本宮大社とを結ぶ、熊野古道でも人気のあるコースです。そして熊野本宮大社から北に上がると十津川に出ます。あるいは修験の道を経れば、吉野に達します。つまり後南朝にとっては、その本拠地と、西に向かって開く海の玄関とを結ぶ最重要のルートの一つであったことでしょう。

この野長瀬一族の墓のある近露は、そうした中辺路ルートの中間辺りに位置します。附近には熊野古道のシンボルともなっている「牛馬童子像」や様々な王子が、当時の姿を留めています。

 

この中辺路ルートは、鎌倉末期、幕府に追われた護良親王が十津川に入る時に辿ったと考えられています。その折に親王を助けた熊野の豪族の一つが野長瀬一族でした。

野長瀬氏は以来、一貫して勤皇の道を貫きます。楠木正成が千早城に籠城していた時に、野長瀬一族がはるばる兵糧を運んでくれたとの伝承が残っています。その際に正成から菊水紋の使用を認められたとか(但し、墓石には菊水紋は見られませんでしたが…)。ただ奥深い熊野の山中に蟠居していたためか、その後の中央の南北朝の抗争とは殆ど関わっていません。

野長瀬一族が次に南朝と関与してその名前が表に現れるのは、後南朝のとき。尤も、正史には現れず、伝承あるいは系図ですが…。

曰く、長祿の変により、自天皇・河野宮と申された後南朝の二皇子が暗殺されます。この事件により後南朝はほぼその活動を停止し、滅んだものと一般的には解釈されています。

しかし熊野地方には、その後の南朝皇胤の伝承が残っています。すははち、後南朝二皇子の下にはさらに弟宮がおられました。尊雅王と申し上げます。この宮が神璽を奉持して十津川に脱出されましたが、そこも赤松浪人の襲撃を受けます。神璽は奪われ、宮は重傷を負って熊野飛鳥郷に逃れられますが、ついに同地で薨じられました。

この尊雅王の母君が、野長瀬盛矩の娘の横矢姫とされています。当然に真偽は不明です。しかし有力な後南朝文書の一つの名宛人が、野長瀬氏と姻戚関係にあった色川氏であったことなどから、野長瀬氏も後南朝支持勢力であったことは大いに現実味のあることで、従ってその縁で姫が出仕していても不思議はありません。

そして野長瀬一族を味方にしていたことから、南朝が何を重視していたか、その戦略が垣間見えて、とても興味のわく一族です。

 

うん

私もちょっと前から気になっていました野長瀬氏。
あんまりわからないのですね^^;

現地なら

前の津田将監墓みたいに、現地でじっくり話を聞いたら
いろいろ発掘できるような気もするな(o^o^o)。
ただし客観的な証拠である文書とかはないかもなぁ。

 

ご無沙汰しております

こんばんは。野長瀬氏拝見いたしました。
最初、誰のことかわからなかったのですが
横矢、というところでやっとこさわかりました・・・。
大塔宮がなんとかなったのも、この一族のおかげなんですよね。
今、拙宅の大塔宮石巻伝説の項目を見直したのですが
鎌倉脱出の際についていった家臣名にはありませんでした。
基本的に南朝の本拠地である吉野・熊野地域で後押ししていた一族なんですね。
地元密着型といい、楠木氏と気が合いそうな・・・。

紀伊の豪族

こちらこそご無沙汰しております。

そうそう、横矢姫って云われていたとか何とか。
楠木氏も一説紀伊出自といわれていますので、
今後の南朝研究は紀伊の豪族に重きをおく
必要があるでしょうね。星の数ほどもあって
とっても大変ですが(^o^;。

 

Re:紀伊の豪族

兄者、紀伊のどのあたりが、においますか?
南紀??

紀伊

全域だ(笑)。

 

こんばんは。紀伊はニオウのですか・・・。
やはりあんだけ山深いと、潜伏できるし便利そうですしね。
豪族の数もかなり複雑で多そうなイメージが。

先日料理番組で、南部の郷土料理、せんべい汁をしてました。
南部煎餅を入れる鍋なんですが、やはり南部煎餅には
菊水の模様が入っておりました。
宮方の集いなんてのが実現したら、その時は煎餅汁にせんといかんかも、ですね(笑)。
大塔村には南朝みそ、というお味噌があるらしいんですが、妙に気になってます・・・。

南朝みそ

紀伊守護に様々な有力大名がつきましたが、
結局掌握しきれなかったですからね。それに
案外楠木氏に関係した城も多いです。

東吉野村には南朝饂飩もあるらしいです(笑)。
南朝みそのなべに入れたら非常に美味そうですv-10

 

こんにちわ

「野長瀬」で検索して流れて来ました。

近露庄ではないのですが、母方の一族が野長瀬の一党でして、こうして紹介して戴けると嬉しいものですね(なにせマイナーなので…)。ちなみに野長瀬ではなく、「横矢」の姓でした。

こんにちわ

ようこそお越し下さいました。

確かに野長瀬氏は"通好み"ですが(^o^;、
近年は熊野古道が脚光を浴びたために
かなり有名になりつつありますね。

また当時のことに関してご存知のことがあれば
お教えいただけるとありがたいです。
よいお年をお迎えください。

 

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