南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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竹原八郎館

2008 - 05/28 [Wed] - 01:42

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和歌山県・三重県・奈良県が県境を接する奥吉野に、瀞峡(どろきょう)という名勝があります。そこより北山川に沿って国道169号線を東に走りますと、七色ダムの手前にこじんまりとした集落があります。そこが和歌山県東牟婁郡北山村竹原、護良親王の熊野行を助け申し上げた竹原八郎の根拠地であった所です。


護良親王の熊野行には二説あります。一は直接十津川に入ったとする説、いま一つは熊野三社を頼ったものの形勢不利によりこの竹原の方へ来たとする説です。

十津川村・大塔村には戸野兵衛の館址はあるものの実は竹原八郎の館址はありません(竹原氏はいましたが弟の家系です)。一方こちらには、対岸の三重県熊野市花知の花知神社(写真上)に竹原八郎の館址の遺構が残っており、親王はまずこの地に潜行された可能性が高いように思われます。

貴人には息女を近づけておもてなしをするというのが当時の風習です。親王を匿っていた時にその身の回りの世話をしたのが八郎の娘でした。お手がついて娘は懐妊します。そのまま無事に誕生したのが陸良親王という話もありますが、この地に残る伝説では大塔若宮は結局死産で、そのお骨を祀ったのが骨置神社(こうずじんじゃ・写真下)ということです。

なお熊野に潜んでいた護良親王のご落胤が代々続いて、現代のとある有名人がその血を引いているという話もありますが、未詳です。

 

勉強になります☆

そうであろう

調べながら書いてるから(爆)。

 

前略 ヤフーのブログから 歴史 明治天皇 替え玉と入れ 検索2面 11南朝ー 12昨日ーに書き込みました 参考まで 仙

何ですか?

歴史にはお詳しいようですが、このコメントですと何がおっしゃりたいのかわかりかねます。ちなみに私は明治天皇の替え玉説はとっておりません。

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