南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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小島頓宮

2008 - 08/17 [Sun] - 03:42

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頓宮とは仮の宮との意味合いで、いはゆる行宮とか行在所です。南朝の勢力は次第に衰退していったために、南朝史蹟としてよく見られるものですが、この小島頓宮に関しては北朝・後光厳帝のものです。

すなはち、観応の擾乱の挙句、足利直義は尊氏に殺されますが、全国各地に直義派は健在でした。中でも山陰に蟠居した山名氏は強大な勢力を維持していました。この山名氏を南朝が調略して自陣にひきこんだのです。

そうして正平8(1353)年、楠木正儀らと山名氏が合して京の足利義アキラを攻撃し、その勢いに義アキラは抗しえず、後光厳を連れて東へ逃れます。今回は近江も危ういということで、土岐氏の領地である美濃まで落ちていきました。かくして美濃まで逃れてきた後光厳が落ち着いたのが、この小島頓宮というわけです。

頓宮址は3箇所あります。一は白樫城の麓、二は瑞巌寺、三は小島城の傍です。現代となってはいずれが真の頓宮かは判りませんが、建物の充実さなどから、おそらくは瑞巌寺が頓宮たりえたのではないかと思われます。当時の南軍がいくら強かったとはいえ、わずか3ヶ月後には足利軍が京を奪還しており、土岐氏が固めている美濃でそれほど南軍の脅威に恐慌する必要もなかったでありましょう。

しかし南風競わずのなかで京を陥し、北帝を美濃まで追い落とすとはかなり痛快な出来事でありました。そういった意味では、南朝史蹟と言ってもよろしいでしょう。

 

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