南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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三河吉野朝(1)

2010 - 10/13 [Wed] - 10:02



去年は西の美作後南朝に行ったので、今年は東の三河吉野朝を巡ってきました。かなり広い地域に点在しているため、2日に分けています。まず初日、JR東海道線の愛知御津駅を13時に出発です。雲一つすらない快晴、気温はとうに35℃を超えています。後南朝愛(?)で頑張ります。


長松寺:豊川市御津町
愛知御津駅より南東に1kmほどJR線路沿いに行った村中にあります。応永23年に足利軍に抵抗して散った山伏の供養塔があるとか……ないか。長い年月の間に失われたのだな。きっとそうに違いない。次に行こう。


常光寺:豊川市御津町
尾張・三河には楠木正勝が開いたという七つの常光寺があり、その一つがこの御津町にあります。長松寺から北東に1kmほど、太陽の炎熱を何も遮るものがない田園地帯を延々と歩いてようやくに着きます。寺号や山号を書いたものが何もありません(写真)。菊水の紋もありません。しかし幸いにも塀に由緒を書いた看板があります。正勝の開基ということは応永年間あたりの創建か、なかなかに古い寺だな……天正2年!1574年か!戦国時代やないか!あれれ!


望理神社:豊川市森(写真左)
常光寺から北西に600mほど歩いた付近一帯はもと望王里と称し、長慶院法皇の仙洞御所があったとか。別名・王田殿、長慶院法皇がこの地で崩御したので後に祭神として祀るようになった……と伝わりますが、それを示すものは何もないね。ご祭神の明示は必要だと思うんだ!


守公神社:豊川市国府町(写真中)
御津町を離れ国府町に入ります。望理神社から北西に2kmほど歩いています。国府駅の近所に守公神社という名の神社が鎮座坐す。三河吉野朝の伝承では、北畠一族を祀っているということです。親房の子・顕信の次男である北畠守親公の親の字が抜けて、それで守公神社と……うーん、苦しいなぁ。ちなみに北畠守親は顕信の次男で、浪岡北畠氏の庶流・川原御所の祖、主な活躍場所は奥州だ!


八面神社:豊川市国府町
前回述べた「楠社」。今まで裏切られ続けた(!)だけに、とても嬉しかったです。近くに内藤左金吾国幸の塚があったとか。内藤満幸(楠木正行の舅)の縁者っぽい名前、やはりここは楠木正行に関する所でしょうか。


御坊塚:豊川市赤坂町(写真右)
八面神社からさらに西に歩いていきます。500mほどで御油の松並木です。かなり背の高い松の木に驚きつつ、通り抜けていきます。並木の終わる近くにアパートがあり、その駐車場に入っていきます。やや奥の方に、一本の木が植わってあり、その根方に小さな祠と五輪塔があります。これこそが長慶院法皇の皇子・松良親王の墓所である「御坊塚」です。側に三浦家の墓があります(写真)。三浦天皇(芳聖)もここに眠っているのでしょうか。それと知らなければまったくわからない場所ですが、痕跡が遺っていてほっとしました。


豊川稲荷:豊川市
後醍醐天皇が信仰したことで有名なダキニ天を祀ります。だから南朝関係の何かが遺ってないかな…と訪れたのですが、開創嘉吉元年、境内整備は江戸末期ということで、全く何もありませんでした。むしろ東南800mのところにある、後醍醐天皇皇子・無文元選禅師が開いた三明寺の方に何かが遺っているのかもしれません。


初日は以上で終わりです。やっぱり殆ど何も遺ってなかったですね…。しかし八面神社のように、伝承の生まれる素地があったことを確認できたのは大きな収穫でした。

 

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