南帝ラヂヲ

南朝・後南朝に関連する史蹟の現状を保存していきます。

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時之島熊澤墓地

2007 - 06/07 [Thu] - 14:04

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後南朝を語る上で外せないのが「熊澤天皇」です。

真偽は別として、川上村や熊野で現地調査を行なったせいか、妙に辻褄が合ってる。なので西陣南帝とされる熊野宮信雅王も、ひょっとしたらおったかも?って思わされます。

というわけで、時之島へ行ってきました。

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天野山

2007 - 04/28 [Sat] - 14:19

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金剛寺。観心寺と並んで楠木氏との関係が深く、その縁で南朝方に味方していました。

行きたい行きたいと思っていたのになかなか立ち寄ることができませんでしたが、先日ようやくに訪れることが叶いました。

金剛寺で目立つのは庭園で、京都の名園にも匹敵します。また宝物館には楠木氏の書状や甲冑があります。

しかし何と言ってもここは南朝・北朝の御所となっていたことが特筆されます。
南朝皇居は予約をしないと拝観できませんが、北朝御所は常時公開されています(写真)。

観応の擾乱により足利高氏・義詮父子が南朝に降伏、ここに北朝は一旦廃されます(正平一統)。そして南朝軍が京都を占領します。
しかしすぐに足利軍の反撃に遭い南朝方は撤退しますが、この際に北朝三上皇と皇太子を伴っていくのです。
そうして南方に拉せられた北朝三上皇が留め置かれたのが、この金剛寺というわけです。

北朝御座所は先の庭園に面した建物の中にあります。
襖や畳が新調されたためか、古さは感じません。しかしあまり広くなく、北朝三上皇の悲哀は実感できます。

隠れ光厳上皇ファン(笑)の管理人は感慨深かったです。

 

矢浜宝篋印塔

2007 - 04/13 [Fri] - 14:47

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尾鷲市街の南の方、東邦ガスのそばに小さな公園があり、その奥にこじんまりと鎮座まします。説明看板によると、西陣南帝の三男である桂城宮重信親王と言う方が、東国に行こうとして果たせず亡くなったので、同地に葬り供養してきた、とのことです。興味深いのはそばの卒塔婆で、「綴連王」と書かれてあること。この名前は山梨県の雛鶴姫伝説にも見られます。西陣南帝は山梨(甲斐)にいたという記録もあるので、何らかの繋がりがあるのかもしれません。

なおこの地には野田・楠姓が多く見られ、この親王を守護してきた河内楠木氏の子孫だそうです。


大きな地図で見る

 

御朝拝式

2007 - 02/13 [Tue] - 02:23

k05571.jpg

先週のことですが、念願の「御朝拝式@川上村」に行って来ました。
主な会場は金剛寺で、9時半頃に到着しました。けっこう人が来てゐて、
狭い境内はいっぱいでした(後日新聞記事によると250人の見物)。
あちこちの写真を撮って回ったり、自天王陵墓(河野宮御墓)に
参拝したりして式の開始を待ちます。

img03101.jpg


午前10時を少し回る頃に、いはゆる"筋目衆"の人々が自天親王神社に
並びました。御朝拝式自体は午前9時30分に始まっていましたが、
見物人に見えるのはこの神社参拝からです。

……まぁ普通の参拝だな(^o^;?御幣捧げてお供えして祭文読み
上げて玉串奉納しておしまい。その後は宝物庫の前に整列して、
いよいよ「御朝拝の儀」が始まります。

img03421.jpg


筋目衆の人びとは入口で配られる榊を口にくわえ、宝物庫の前に
左右に分かれて整列します。そして扉が開けられ、御神体とされる
甲冑ひと揃えが姿を顕わしました。今年は550年祭、従来高原(兜)と
神之谷(鎧袖)で分かれて行ってゐたものを統一して行うことに
なったので、兜と鎧がおよそ400年ぶりに揃っています。

賀詞が読み上げられ、そして玉串を順に捧げて拝礼します。
私は式場入口附近で必死こいて写真を撮ってゐましたが、
疲れたので本堂前に引き上げてしまいました(^^;ゞ。
同行者と話をしてゐると、詩吟など聞こえてきます。

しばらくして筋目衆が本堂前に出てきました。制服を着た宮内庁
書陵部の職員が先頭に立ち、自天王陵墓参拝のため石段を登って
いきます。式次第によりますと、拝礼ののち誄文を読み上げる
という参拝が行われたようです。十分ほどでしょうか、筋目衆が
下りてきて本堂前に整列し、記念撮影が行われました。これで
外から見える御朝拝式は終わりとなります。

先ほども触れましたが今年は550年祭、これを機に一般にも参列して
もらおうということで、御神体たる甲冑を拝めることになりました。
ですので、私も式場に参上して玉串を捧げて御魂を慰め申し上げた
のでありました。

以上が御朝拝式のあらましです。まぁ感想としては…法事と変わらん(^o^;?
見物人が多すぎて秘儀って感じがしないのもやや拍子抜けでした。
しかし550年途切れることなく行われてきた祭りだということに、
地元の自天王への限りない敬慕と後南朝を守ってきた矜持を感じました。

祭りの後は川上村に点在する後南朝史蹟を訪問しました。御首を持って
逃走を図る赤松遺臣討伐の指揮をとった橘将監の墓や、中村貞友を
射殺した弓の名手・大西助五郎碑など、今まで行けなかったところに
行くことができました。ご利益、ご利益(o^o^o)。


大きな地図で見る

 

ここも

2007 - 01/18 [Thu] - 22:33

20070118223452
楠木史跡に違いない(^-^)。

 

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